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南国土佐へ来てみいや

南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介

馬場胡蝶の句碑 - 「鯨去る 行方を灘の 霞かな」

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[ 高知県高知市桜馬場 ]この馬場胡蝶の句碑も、前回御紹介した桜馬場にあり、寺田寅彦の文学碑の南≒50mの場所に建てられちょります。馬場胡蝶は、土佐藩士馬場来八の4男で、島崎藤村・樋口一葉や斎藤緑雨等とも親しかった英文学者・随筆家・翻訳家ながです。 句碑は、「鯨去る 行方を灘の 霞かな」と刻まれちょります。 御城傍の江ノ口川沿いまで「鯨」が来る訳ないのに、如何いてこんな所に句碑を建てたのか、些か疑問なです...

寺田寅彦の文学碑 - 高知ペンクラブ創立20周年に建てられた『花物語』の「昼顔」

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[ 高知県高知市桜馬場 ]高知城西の城西公園と江ノ口川を挟んだ桜馬場の北詰の大樹の下に、ひっそりと石碑が建てられちょります。誰の石碑じゃろうと思って近寄って見たら、1990年に高知ペンクラブ創立20周年に建てられた碑で、『花物語』寺田虎彦と刻まれちょりました。物理学者・文学者でもあった高知県の産んだ偉人で、有名な「天災は忘れられたる頃来る」と言う言葉を残した、寺田寅彦ながで、刻まれちょるのは『花物語』の中...

谷秦山邸跡 - 土佐山田に移り住む前に一家は高知城下の北・秦泉寺村に住む

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[ 高知県高知市中秦泉寺 ]高知に居った頃、高知市の古い地図を見よったら秦泉寺地区の地図に「谷秦山邸跡」との記述があった。中秦泉寺の交差点から、秦山の北側の山裾を≒400m至った所にあり、邸跡への上り坂の途中に、風化して少々読みづらい「谷秦山邸跡」の説明板が建てられちょりました。 谷 秦山(屋敷跡)学問の神様と尊敬される谷丹三郎重遠の屋敷あと。彼は寛文3年3月11日南国市岡豊で出生。儒学・天文・歴学に通じた大...

伝 ・氷上志計志麻呂供養塔 - 称徳天皇が天皇に道鏡を擁立するのに邪魔だった天武系皇子

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[ 高知県須崎市野見 ]生前、良く母が野見の実家のあった上の山に「古墳がある」と言いよったがですが、高知に居った頃、何じゃろーと思うて探しに行って見ると標高60-70m程の山の上に祠があり、中に五輪の塔があったがです。調べてみると奈良時代 (769)に、土佐に配流になった氷上志計志麻呂の供養塔と言われちょります。祠の南側の尾根の部分に、石を積み囲んだ数基の墳墓らしきものが並んじょり、多分、これが母の言いよった古...

野中兼山先生頌徳碑 - 昭和15年(1940)鎌田堰築造事業所遺跡地に建てられた碑

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[ 高知県土佐市高岡町丁乙 ]土佐市の松尾八幡宮から参道を南に≒560 m下った、(鎌田)西井筋用水路の右岸側にあるビニールハウス傍に建てられちょります。石碑の上部にゃ「紀元二千六百年」とあり、「野中兼山先生 頌徳碑 鎌田堰築造事業所遺跡地」と刻まれちょります。建立されたのは、紀元二千六百年とありますき、昭和15年(1940)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事の一環として建てられたのかと・・・・...

度賀野又太郎入道居城址 - 吉野朝の忠臣で大高坂城の攻防戦等に参戦

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[ 高知県高岡郡佐川町東組 ]佐川町斗賀野盆地の国道494号と県道308号線・本郷斗賀野停車場線が交わる辺りに、丸山公園 と呼ばれるコンマイ(小さい)丘があるがです。春ともなれば、沢山あるわけじゃないけんど、桜も咲いて綺麗な場所ながです。 南北朝時代にゃ、この度賀野庄の在地領主は度賀野氏で、南朝方に味方し活躍したがです。この丸山公園に居城があったかは定かじゃないようですけんど、この丸山の上に、「度賀野又太...

波川玄番城跡 - 波川玄蕃清宗は長宗我部元親の妹を妻にし元親とは義兄弟

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[ 高知県吾川郡いの町波川 ]場所は高知市の西隣、いの町にあるがです。写真は、仁淀川右岸から見た、波川玄蕃城址で、城主は波川玄蕃清宗は、元亀2年(1571)頃、長宗我部元親の高岡侵攻に当たり降伏し、元親の妹(のちの養甫尼)を妻とし長宗我部氏の一族となるが、天正8年(1580)に謀反が露見し、清宗は剃髪し阿波国海部へ逃れたけんど、自刃に追い込まれたがです。波川小研城(編年紀事略)、葛木城とも言う。いの町内を抜け、...

不破重正 - 山内一豊の妻・見性院とは叔父・姪とも・・・・・

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[ 高知県高知市中高見 ]不破重正夫妻の墓碑。弘治2年(1556)、美濃国不破に不破重則の子に生まれる。先祖は、南北朝の騒乱の際、楠木正成も戦かった宇都宮氏とも・・・・・。 不破重正は、幼くして父母兄弟を亡くし孤児となり、竹中重治(竹中半兵衛)に養われた。、竹中重治(竹中半兵衛)は、初め斎藤龍興(祖父は斎藤道三)に仕えていたから、不破重正の父・不破重則も斎藤龍興の家臣だったのではないかと・・・・・・。天正5...

沖の土居城館跡 - 『長宗我部地検帳』によれば廣井三郎衛門尉の給地

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[ 高知県南国市久礼田字沖ノ土居 ]久礼田小学校の東≒200mの高知県道31号前浜植野線沿いにある「沖ノ土居」バス停より、南に≒200mの場所に、この石碑があるがです。築城年代等は不明じゃけんど、『高知県南国市中世城館跡』にゃ、「長宗我部地検帳によれば,廣井三郎衛門尉の給地であり,廣井神内の和地となっている。廣井三郎衛門尉は,久礼田に多くの給地をもっている。」と記されちょります。また、土居北端部と推考される地点...

極楽寺 - 四国三十六不動霊場・第15番札所

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[ 高知県安芸市赤野甲 ]場所は、以前御紹介した矢流古戦場の碑のあるレストラン矢流の海側で、サイクリングロードを挟んだ断崖の上に祀られちょります。 八流古戦場 - 土佐国統一を目指す長宗我部元親と安芸国虎の合戦地 2020-08-22 真言宗醍醐派のお寺さんで、八流山極楽寺と言うがです。御本尊は波切不動明王さんで、不動明王を手助けするの三十六童子は師子慧童子じゃとか。 因みに、三十六童子とは、その名を唱えれば悪霊...

行川神社 - 坂本龍馬にも影響を与えた河田小龍の絵馬があった

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[ 高知県高知市行川 ]高知市内を流れる鏡川の上流部に架かる大河内橋(標高約17m)を対岸に渡り、領家方面に山道を上って行くと、行川集落があり、そこに行川神社(標高約126m)が鎮座しちょります。行川神社の由緒や御祭神は不明ですが、今回は、拝殿の中にある絵馬のお話ながです。 拝殿の格子の隙間から中を覗くと、正面に二枚の絵馬か架かっちょりました。 左側は、「スサノオ命のオロチ退治」かと。 右は「天岩戸」のようなが...

勝賀野次郎兵衛実信 - 吉良左京進親実の忠臣で、元親の刺客と壮絶な死闘 

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[ 高知県土佐市蓮池芋岡 ]この墓は、吉良左京進親実の居城じゃった蓮池城址の東方約500mの小丘にあるがです。比較的真新しい墓石は、昭和二十九年に建てられちょり、多分、右脇にある小さな石が元の供養塔じゃったがじゃないかと思うがですが、墓石の碑文にゃ、「天正十六年(1588)九月没」とある。勝賀野次郎兵衛実信は、高岡郡仁井田庄宮ノ谷(窪川町)を本拠とする勝賀野一族の出で、吉良左京進親実の家臣じゃった。【 参考...

高知城追手門番所の怪異 - 伝承には堺殉難烈士・横田辰五郎に纏わるとか・・・

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[ 高知県高知市丸ノ内 ]全国にゃ、沢山のお城や古城が存在し、数々の伝説や怪奇譚が伝承されちょりますが、高知城にもあるようです。城内番所の怪異今は昔、藩政中高知城追手門内外に上下二番所あり 下番所は足軽二名ずつ相詰上番所(門内西北に在り)には馬廻の士、晝夜二三名交代を以て相詰 暮六時出勤、明六時退出にて若等一人鑓持一人を召具す 右上番所の上の間には、其の番衆の士が相詰め、次の間には其の組頭の家僕のみ...

四国八十八箇所霊場第二十四番札所・最御崎寺 - 空海の七不思議

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[ 高知県室戸市室戸岬町 ]全国にゃ、弘法大師(空海)所縁の伝承伝説の類がこじゃんとあるけんど、四国八十八箇所霊場第二十四番札所最御崎寺に伝わる「空海の七不思議」を、御紹介しますき。第一番目 「一夜建立の岩屋」これは以前、御紹介しちょりますが、最御崎寺(東寺)の「奥の院」とされちょります。真意の程はさて置いて、空海が一夜で掘った洞窟とされ、現在は最御崎寺(東寺)の宝物館に収蔵されちょりますが、唐より...

小川保馬 - 東洋暗殺犯探索中の井上佐市郎殺害関与と、近藤勇捕縛に関わるとも

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[ 高知県安芸郡芸西村和食甲 ]光平屋敷とその一族和食下中地区に光平屋敷と呼ばれている所がある。そこは剣豪として聞こえた尾川為十郎の生家で、為十郎は尾川姓を受け継ぎ五百人方となり、藩主の供をして江戸に出て武芸を学んだ。特に柔術が得意で、その門弟は清岡治之助(二十三士副隊長)を始め千人に及んだと言う。為十郎の長男・平川光伸は下横目付を務めていた。京都在勤中、吉田東洋暗殺犯人を探索中の同職、井上佐市郎を...

箕越の猫神社 - お寺の悪戯猫が可愛がってくれた和尚さんに恩返し

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[ 高知県須崎市多ノ郷甲・蓑越地区 ]須崎市の向山の東の端の蓑越地区に、猫を祀る猫神社と言う小さな祠があるがです。神社名は、そのものズバリのユニークなネーミングの猫神社で、伝説が残っちょります。『須崎市の昔話』から、二題、御紹介します。 箕越の猫神社昔、吾川郡名野川と言う村の某寺で猫を飼いよったと。飼猫は年を取るにつれて赤毛の大猫になった。この猫は、毎晩和尚さんの衣を着て、小僧に化けて川原に出て他の...

毛利久八吉次 - 祖父は備前小倉城主・毛利壱岐守吉成の弟・豊前巌石城主・出羽守吉雄

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[ 高知県高知市本町五丁目 ]毛利久八吉次 の父は,、豊前小倉城主・毛利壱岐守吉成の弟で豊前巌石城主・出羽守吉雄の子・出羽守吉勝といい、父は慶長8年十二月二十二日筑前若松で亡くなっちゅう。 毛利吉成 - 豊前国・小倉藩城主で豊臣秀吉に仕える 2014-02-05 加藤清正に三百石で抱えられ、熊本藩第2代藩主・加藤忠広にも仕えるけんど、寛永9年(1632)5月22日に藩主・加藤忠広が江戸参府途上、品川宿で入府を止められ、池上本...

国澤城跡 - 城主・国澤将監は元は本山氏の配下の将

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[ 高知県高知市堺町辺り ]土佐の戦国時代、現在のはりまや橋交差点の南西方向の一角に、国澤将監が城主じゃった国澤城があったとされちょりますが、現在、当時の面影を残すものはなんちゃー残っちょりません。当時のこの辺りは鏡川の湿地帯じゃった場所で、僅かに盛り上がった中州のような場所に、城と言うより砦のような構えじゃったと思われるがです。城主・国澤将監は本山氏の幕下の将也。・・・・・永禄3年(1560)元親、潮...

姫倉城跡 - 築城に関わる伝承に「姫倉化粧の清水」の話が

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[ 高知県香南市香我美町岸本 ]赤岡漁港近くの堤防から、東に約2.3Km先に見える姫倉城址(月見山)ながです。 戦国時代は安芸氏の勢力下で、安芸氏の武将・姫倉豊前守と姫倉右京の居城で、現在の香我美町と夜須町の境を南北に連なる尾根の南の端の、月見山の標高約68mの山頂部に築かれちょります。  築城時期は不祥じゃけんど、「姫倉化粧の清水跡」と言う伝承に城を築いたとある。辰の口にあったようじゃけんど、今は埋め立てら...

葛木咩神社旧社地 - 延喜式社・土佐之國二十一座の一社・葛木咩神社に比定

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[ 高知県高知市布師田 ]此処は、国分川の左岸にあり、高知市布師田と南国市との境近くになる。直ぐ東側に岡豊高校があるけんど、周囲は水田に囲まれ、こんもりと雑木や雑草が茂るのみ。両側が水田になっちょる参道にゃ、狛犬や鳥居に架かっちょった扁額が残るのみで何もないけんど、此処が葛木咩神社のあった旧社地ながです。昭和47年に国分川右岸にある葛木男神社に合祀されちょります。 葛木男神社 - 御祭神の葛木男と葛木咩っ...

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