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南国土佐へ来てみいや

南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介

大町神社 - 大町弾正の先祖を祀り、大町桂月の先祖になるとも言う

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[ 高知県南国市立田  ]詳しい事は判らんけんど、今から約500年前に京の都から大町弾正と言う武士が落ち延びて来て、長宗我部氏に仕えたがじゃそうですが、ここ等辺りに住まいしたがでしょうか、この、こんまい(小さな)お宮さんは、その大町家の先祖を祀っちゅうがじゃそうです。これだけじゃと、投稿する程の事じゃないけんど、明治から大正にかけて歌人、随筆家、評論家として活躍した大町桂月は、この大町弾正の子孫じゃと...

浅尾沈下橋 - 細田守監督の最新作・映画『竜とそばかすの姫』の舞台

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[ 高知県高岡郡越知町浅尾・鎌井田本村鎌井田  ]以前に御紹介しちょりますが、細田守監督の最新作映画『竜とそばかすの姫』が本年(2021)7月16日公開に公開になる事が決まったようですき、再度、御紹介しちょきます。映画『竜とそばかすの姫』の主人公の17歳の高校生・すずは、父と過疎化の進む高知の片田舎で暮らしちょるがですが、その舞台になっちょるがが、仁淀川の上流部にある鎌井田の集落ながです。高知道を経由して県外...

深尾土居邸跡 - 山内家国家老・深尾氏の開いた土居跡

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[ 高知県高岡郡佐川町・磐井谷  ]佐川城址の南の麓を、佐川町から須崎に抜ける県道494号線が通っちょりますが、その道路脇に石碑と「佐川城址(西側山上)と土居屋敷跡」の説明板が建てられちょります。佐川城は1573(天正初)、長宗我部元親の臣、久武内蔵助が築城、1600(慶長5)年、山内一豊土佐入国により、翌6年筆頭家老深尾重良1万石の居城となる。1615(元和元)年、徳川幕府の一国一城制により取壊しとなったため、1616(...

渡辺弥久馬の墓 - イギリス水兵殺害事件解決や坂本龍馬と武器調達を結ぶ

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[ 東京都港区南青山・青山霊園 ]東京青山霊園にある、維新後に斉藤利行と改名した渡辺弥久馬のお墓なが。坂本龍馬が土佐に持ち込んだライフル千挺の取引交渉に臨むため、坂本龍馬を吸江で出迎え交渉にも当たっちょります。 吸江庵跡 - 坂本龍馬が土佐藩とライフル千丁の交渉を行った場所 2010-10-31 渡辺弥久馬邸跡 - 龍馬最後の帰郷の際、談判に関わる 2011-01-07 因みに、以前御紹介しちょりますが高知には、 渡辺弥久馬の...

福井玄蕃頭 - 一條氏の家臣で戸波城城主、津野元実を恵良沼に破る

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[ 高知県土佐市  ]口伝じゃと、土佐市本村にある戸波城城主じゃった、福井玄蕃頭の墓所じゃとされちょります。 戸波城跡 - 一条氏家臣・福井玄蕃が城代 2016-03-02 福井玄蕃頭に関しては、詳しい事は分らんけんど、一條氏の家臣で、永正14年(1517)津野元実を恵良沼にて破った武将ながです。恵良沼古戦場跡 - 津野少輔元實ら一族・雑兵多数討死し沼の藻屑と消える 2019-12-09 因みに、昭和初期に総理大臣を務めライオン宰相と...

夜須城址 - 土佐の源氏方武将・夜須七郎行宗の居城跡

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[ 高知県香南市夜須町出口  ]当ブログで、何度かご紹介しちょります平家の監視の元にあった源希義の、土佐に於ける協力者じゃった、この地の豪族・夜須行宗の居城じゃったがです。夜須 行宗は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。通称は夜須七郎。一説によると名は「行家」とも。夜須氏は土佐国夜須荘を本拠とし、平治の乱で敗れた源義朝の遺児・希義が土佐に配流されてくると、これを援助して源家再興を計る。寿永元年...

馬場胡蝶の句碑 - 「鯨去る 行方を灘の 霞かな」

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[ 高知県高知市桜馬場 ]この馬場胡蝶の句碑も、前回御紹介した桜馬場にあり、寺田寅彦の文学碑の南≒50mの場所に建てられちょります。馬場胡蝶は、土佐藩士馬場来八の4男で、島崎藤村・樋口一葉や斎藤緑雨等とも親しかった英文学者・随筆家・翻訳家ながです。 句碑は、「鯨去る 行方を灘の 霞かな」と刻まれちょります。 御城傍の江ノ口川沿いまで「鯨」が来る訳ないのに、如何いてこんな所に句碑を建てたのか、些か疑問なです...

寺田寅彦の文学碑 - 高知ペンクラブ創立20周年に建てられた『花物語』の「昼顔」

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[ 高知県高知市桜馬場 ]高知城西の城西公園と江ノ口川を挟んだ桜馬場の北詰の大樹の下に、ひっそりと石碑が建てられちょります。誰の石碑じゃろうと思って近寄って見たら、1990年に高知ペンクラブ創立20周年に建てられた碑で、『花物語』寺田虎彦と刻まれちょりました。物理学者・文学者でもあった高知県の産んだ偉人で、有名な「天災は忘れられたる頃来る」と言う言葉を残した、寺田寅彦ながで、刻まれちょるのは『花物語』の中...

谷秦山邸跡 - 土佐山田に移り住む前に一家は高知城下の北・秦泉寺村に住む

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[ 高知県高知市中秦泉寺 ]高知に居った頃、高知市の古い地図を見よったら秦泉寺地区の地図に「谷秦山邸跡」との記述があった。中秦泉寺の交差点から、秦山の北側の山裾を≒400m至った所にあり、邸跡への上り坂の途中に、風化して少々読みづらい「谷秦山邸跡」の説明板が建てられちょりました。 谷 秦山(屋敷跡)学問の神様と尊敬される谷丹三郎重遠の屋敷あと。彼は寛文3年3月11日南国市岡豊で出生。儒学・天文・歴学に通じた大...

伝 ・氷上志計志麻呂供養塔 - 称徳天皇が天皇に道鏡を擁立するのに邪魔だった天武系皇子

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[ 高知県須崎市野見 ]生前、良く母が野見の実家のあった上の山に「古墳がある」と言いよったがですが、高知に居った頃、何じゃろーと思うて探しに行って見ると標高60-70m程の山の上に祠があり、中に五輪の塔があったがです。調べてみると奈良時代 (769)に、土佐に配流になった氷上志計志麻呂の供養塔と言われちょります。祠の南側の尾根の部分に、石を積み囲んだ数基の墳墓らしきものが並んじょり、多分、これが母の言いよった古...

野中兼山先生頌徳碑 - 昭和15年(1940)鎌田堰築造事業所遺跡地に建てられた碑

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[ 高知県土佐市高岡町丁乙 ]土佐市の松尾八幡宮から参道を南に≒560 m下った、(鎌田)西井筋用水路の右岸側にあるビニールハウス傍に建てられちょります。石碑の上部にゃ「紀元二千六百年」とあり、「野中兼山先生 頌徳碑 鎌田堰築造事業所遺跡地」と刻まれちょります。建立されたのは、紀元二千六百年とありますき、昭和15年(1940)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事の一環として建てられたのかと・・・・...

度賀野又太郎入道居城址 - 吉野朝の忠臣で大高坂城の攻防戦等に参戦

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[ 高知県高岡郡佐川町東組 ]佐川町斗賀野盆地の国道494号と県道308号線・本郷斗賀野停車場線が交わる辺りに、丸山公園 と呼ばれるコンマイ(小さい)丘があるがです。春ともなれば、沢山あるわけじゃないけんど、桜も咲いて綺麗な場所ながです。 南北朝時代にゃ、この度賀野庄の在地領主は度賀野氏で、南朝方に味方し活躍したがです。この丸山公園に居城があったかは定かじゃないようですけんど、この丸山の上に、「度賀野又太...

波川玄番城跡 - 波川玄蕃清宗は長宗我部元親の妹を妻にし元親とは義兄弟

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[ 高知県吾川郡いの町波川 ]場所は高知市の西隣、いの町にあるがです。写真は、仁淀川右岸から見た、波川玄蕃城址で、城主は波川玄蕃清宗は、元亀2年(1571)頃、長宗我部元親の高岡侵攻に当たり降伏し、元親の妹(のちの養甫尼)を妻とし長宗我部氏の一族となるが、天正8年(1580)に謀反が露見し、清宗は剃髪し阿波国海部へ逃れたけんど、自刃に追い込まれたがです。波川小研城(編年紀事略)、葛木城とも言う。いの町内を抜け、...

不破重正 - 山内一豊の妻・見性院とは叔父・姪とも・・・・・

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[ 高知県高知市中高見 ]不破重正夫妻の墓碑。弘治2年(1556)、美濃国不破に不破重則の子に生まれる。先祖は、南北朝の騒乱の際、楠木正成も戦かった宇都宮氏とも・・・・・。 不破重正は、幼くして父母兄弟を亡くし孤児となり、竹中重治(竹中半兵衛)に養われた。、竹中重治(竹中半兵衛)は、初め斎藤龍興(祖父は斎藤道三)に仕えていたから、不破重正の父・不破重則も斎藤龍興の家臣だったのではないかと・・・・・・。天正5...

沖の土居城館跡 - 『長宗我部地検帳』によれば廣井三郎衛門尉の給地

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[ 高知県南国市久礼田字沖ノ土居 ]久礼田小学校の東≒200mの高知県道31号前浜植野線沿いにある「沖ノ土居」バス停より、南に≒200mの場所に、この石碑があるがです。築城年代等は不明じゃけんど、『高知県南国市中世城館跡』にゃ、「長宗我部地検帳によれば,廣井三郎衛門尉の給地であり,廣井神内の和地となっている。廣井三郎衛門尉は,久礼田に多くの給地をもっている。」と記されちょります。また、土居北端部と推考される地点...

極楽寺 - 四国三十六不動霊場・第15番札所

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[ 高知県安芸市赤野甲 ]場所は、以前御紹介した矢流古戦場の碑のあるレストラン矢流の海側で、サイクリングロードを挟んだ断崖の上に祀られちょります。 八流古戦場 - 土佐国統一を目指す長宗我部元親と安芸国虎の合戦地 2020-08-22 真言宗醍醐派のお寺さんで、八流山極楽寺と言うがです。御本尊は波切不動明王さんで、不動明王を手助けするの三十六童子は師子慧童子じゃとか。 因みに、三十六童子とは、その名を唱えれば悪霊...

行川神社 - 坂本龍馬にも影響を与えた河田小龍の絵馬があった

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[ 高知県高知市行川 ]高知市内を流れる鏡川の上流部に架かる大河内橋(標高約17m)を対岸に渡り、領家方面に山道を上って行くと、行川集落があり、そこに行川神社(標高約126m)が鎮座しちょります。行川神社の由緒や御祭神は不明ですが、今回は、拝殿の中にある絵馬のお話ながです。 拝殿の格子の隙間から中を覗くと、正面に二枚の絵馬か架かっちょりました。 左側は、「スサノオ命のオロチ退治」かと。 右は「天岩戸」のようなが...

勝賀野次郎兵衛実信 - 吉良左京進親実の忠臣で、元親の刺客と壮絶な死闘 

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[ 高知県土佐市蓮池芋岡 ]この墓は、吉良左京進親実の居城じゃった蓮池城址の東方約500mの小丘にあるがです。比較的真新しい墓石は、昭和二十九年に建てられちょり、多分、右脇にある小さな石が元の供養塔じゃったがじゃないかと思うがですが、墓石の碑文にゃ、「天正十六年(1588)九月没」とある。勝賀野次郎兵衛実信は、高岡郡仁井田庄宮ノ谷(窪川町)を本拠とする勝賀野一族の出で、吉良左京進親実の家臣じゃった。【 参考...

高知城追手門番所の怪異 - 伝承には堺殉難烈士・横田辰五郎に纏わるとか・・・

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[ 高知県高知市丸ノ内 ]全国にゃ、沢山のお城や古城が存在し、数々の伝説や怪奇譚が伝承されちょりますが、高知城にもあるようです。城内番所の怪異今は昔、藩政中高知城追手門内外に上下二番所あり 下番所は足軽二名ずつ相詰上番所(門内西北に在り)には馬廻の士、晝夜二三名交代を以て相詰 暮六時出勤、明六時退出にて若等一人鑓持一人を召具す 右上番所の上の間には、其の番衆の士が相詰め、次の間には其の組頭の家僕のみ...

四国八十八箇所霊場第二十四番札所・最御崎寺 - 空海の七不思議

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[ 高知県室戸市室戸岬町 ]全国にゃ、弘法大師(空海)所縁の伝承伝説の類がこじゃんとあるけんど、四国八十八箇所霊場第二十四番札所最御崎寺に伝わる「空海の七不思議」を、御紹介しますき。第一番目 「一夜建立の岩屋」これは以前、御紹介しちょりますが、最御崎寺(東寺)の「奥の院」とされちょります。真意の程はさて置いて、空海が一夜で掘った洞窟とされ、現在は最御崎寺(東寺)の宝物館に収蔵されちょりますが、唐より...

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・ 高知市 2011 ・ 南国市
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・ 高知市 2008 ・ 本山町(記事無)